徒然なりすぎる。

徒然なるままに。

曝露療法(認知行動療法)の実際。PTSDは治る

 

 

3ヶ月に渡り取り組んできたPTSDの治療プログラム-PE/持続エクスポージャー療法を3/30に完了させ、今ではPTSDを完全に克服したと言えます。


PTSDは治ります!これはマジです。
 

治療を終えた今、私の治療体験を誰かに伝えることで、プログラムについて広く知られたり、実際に受けてみようと思い立ってくれる人が増えたらいいなと心から願っています。
デリケートな内容も含みますが、でも読む価値はあると思います。PE療法の実際と体験談を書き記しておきます。
 
 
 
私はごくごく普通の女性バーテンダーです。

実は、長年、子供の頃に受けた性的虐待によるPTSDに一人で苦しんできました。誰にも話さず(話せず)、悟らせることもせず、秘めておくものだとずっと思っていました。
デリケートな話題をわざわざ話すことはないし、そもそも恥ずかしいという感情が先行して話せない。
 
それに長い間、奥底に無理矢理眠らせたトラウマ記憶を掘り返すことも出来ず、記憶そのものをぼんやりとしか思い出せなかったんです。
 
私の知人なんかは、「そんなことがあったの?」などと驚くかもしれませんね。
でも今は聞かれたらきっちり話すことが出来ます。自分からわざわざ話すことはこれから先もないでしょうが…。
 
治療プログラムを終え、新たな人生を歩んでいくことに対して戸惑いも感じていますが、トラウマを処理しきったこのタイミングを貴重な機会とし、自分探しの旅に出ようと思います。
 
PTSDの症状についてはこちらのサイトに詳しくガイドされているのでご参照ください。
 
 
 
PTSDの症状に苦しんでいる、辛い生活を送っている方。
 
そんな方に、騙されたと思ってでもいいから、認知行動療法ーー中でもPE療法(持続エクスポージャー療法)をお勧めしたいです。
 
私はこの療法を終了し、完全によくなったと言い切れる程まで回復しているので、この療法を検討されている方、迷っている方の背中を押したくて、この文章を認めました。
 
治療にあたり、たくさんの書籍も読みました。やはりそれだけ不安でした。
 
 
まず、私の病状のケースを記します。
 
以下、性的トラウマ体験について記述しますので、性的な体験のフラッシュバック等を起こしてしまう方が読み進める際はご注意ください。
でも、読むことも少なからずあなたにとって治療になります。そして書き記す私にとっても、これは治療になります。
大切なのは立ち向かって行くことです。
 
私はトラウマ体験をこれだけ詳細に書き記せるようになりました。
 
 
 
12歳のある日、私は実の従兄弟による性的虐待、レイプ被害に遭っています。
 
その日は親族の集まりで、長男夫婦…その息子、従兄弟の兄は祖母と本家にて同居しておりました。
祖父祖母の家庭の環境が少し特殊で、私の父は次男であるため、分家である私達一家は、特に次男の嫁である母などは、他人扱いされているのもあって、肩身が狭い思いをしながら本家に赴いていました。
 
本家の従兄弟の部屋にて、継続的に私は
キスや胸や局部を触られたりのいたずらを受けていました。
大柄な従兄弟には恐怖でやめてとも言えない。
おかしいことをされているとはわかっていたけれど、それでも当時は両親のことを思うと我慢するしかない、と半ば諦めの境地で誰にも言えずにいました。
 
そして決定的な事件が起きます。
 
私は身動きの取れないままに(信じられないかもしれませんが、人間は過度な恐怖を感じる環境下に置かれると、体が固まってしまうのです。
それはまるでライオンに捕食される鹿のように、思考も停止し、従順になってしまうのです)無理矢理性的な悪戯をされ、挿入寸前までいきました。
はっきりと思い出せます。ショーツを強引に下げられたことや、押し倒され、床に押し付けられ、あっという間にその体制を取らされたこと……。
 
 
しかしその当時の私は、そこへ来て、体の芯がバチンと弾け(まるでブレーカーが落ちるかのような音がして)、突然身体が動くようになったのです。
 
気がつけば従兄弟を蹴り飛ばしており、危機一髪でそれを回避しています。
 
ただ、従兄弟の部屋を出る瞬間、まるでひっくり返ったカエルのような格好をしている従兄弟が見えました。
その間抜けな格好と勃起したままの性器があまりに不釣り合いで、汚く見えて、「人間というものは理性がある生き物ではないのか、こんなにも本能を剥き出しにしてしまうのか」という考えと、それに伴う絶望感がまるで雷のように私の頭を打ちました。 
 
しかし当時の私は、実の親もこの環境にいることが辛かろう、肩身も狭かろう、迷惑はかけたくない、という思いで、その一連の出来事を押し込め、無かったことにしようとしました。
 
あくまで大人達の前では平静を装い、無邪気な子供のように変わらず振る舞ったのです。
 
ただ、駆け込んだトイレで、防衛反応としての自分の体の反応を目の当たりにし、一人激しくショックを受けました。
従兄弟のあの間抜けな姿が頭をよぎり、そんなつもりはなかったのに体はこんなにも反応してしまっている、血が混じっており、確かに傷ついてしまった、私も生き物なのだと、汚れてしまったのだと、汚れているのだと、自己嫌悪に陥りました。
 
それもただ、無かったことにして、
記憶を心の底に沈めるように、それからも振る舞い続けました。
それ以降、一度も祖母の家には行っていません。
 
その数年後、高校生の頃です。
ある程度の役職につき多忙な仕事と学業の両立に対するストレスも重なり、ある日突然、私は精神病的症状を発症しました。
症状としては、不眠、食欲減退、疑心暗鬼、被害妄想、幻聴、考えがまとまらない、自分のビジネスプランが大衆に丸聞こえなのではないかという考え、私の業績を邪魔する何かがいるという考え、明らかな体重減少。
仕事も要求されたことに対して今までのような答えが返せなくなり、数字は劇的に下がりました。
家でも「誰かが盗聴器を仕掛けている」等理解不能な言動が続いたため、両親は私を近くの精神科に連れていきました。
 
医者は母親の訴えと私の様子を見てすぐに「時期的にも、どう見ても統合失調症の陽性症状だ」と言い、私に統合失調症の診断を下しました。
 
初診のその日に、オランザピン等の抗精神病薬デパスソラナックス等の抗不安薬睡眠薬等、たくさんの薬が処方されました。
貯めに貯めた休みを消費し、私は暫く治療に専念することになりました。
 
それまで思考がまとまらなく落ち着きがなかった私が、薬を飲むと、途端にカクンと長時間眠るようになり、意識が朦朧とし、また目覚めた時にはオランザピンの副作用でただひたすら食べ物を求めるようになりました。
その医師はその後も多岐に渡る多量の薬を私に処方しました。
一日中朦朧としており、大人しくなる。治る兆しなどありませんでした。
そのままでは社会復帰などほど遠い、廃人寸前になるところでした。
 
母親の手記が残されています。
「トイレに行くのも億劫だと言う。よく眠る子だったがまるで死んでるのかと思う程静かに眠っている。元々少食だったのに、起きたと思えば食べ物をやたら欲しがる。食べさせても食べさせてもまだ欲しいと言う。復職なんて到底無理だ」
 
そして何度目かの診察でその医師は、薬漬けになった娘の急激な変化にパニックになっている母親の言動を見て「発達障害の可能性がある」などと診断を下し、母親にまで服薬を勧めたのです。
 
母親はそれでその医師に不信感を抱き、私に投薬をやめさせ、またその病院に診療に通うのもやめたのでした。
 
そして親は私に言いました。
「社会復帰をしなさい」と。
暫くして、ある程度の薬の効果もあったのか、私は復職し、今まで通り仕事に励んできました。そして何年か経ち、会社の方針と私の方針は全く合わない、と、流れ流れ、その役職を捨て、今の職業に従事するようになりました。
 
 
そして数年後、今持っている店も順調になってきた頃、今度は突然、急激な鬱がやってきました。
自殺願望、無力感、罪悪感、意欲や興味関心の低下、無価値感、不眠。
 
私は統合失調症だと診断されていた地獄の日々を思い出しました。
このままでは十分なパフォーマンスが出来なくなってしまう。
 
そう思った私は近くの精神科に駆け込みました。
 
 
そこは、初診にしっかりカウンセリングをしてくれる病院でした。
抑うつ状態だとして、まずは眠れるようにと睡眠薬だけ出され、様子見だと言いました。
 
そして度重なるカウンセリングを続け、一旦はうつ病として見られたのですが、私の根底に要因があることをその医師は見抜いてくれました。
 
 
出来ることと出来ないこと、対人関係。
様々なことに頑なな私に、医師は違和感を覚えたそうです。
 
男女問わず、人間を信じきることができない。愛しきることができない。
性的な対象として見られることに異常なほどストレスを感じる。
 
医師に、私にとって過去に重大な事件が何かあったのかということを聞かれました。そのトラウマによって、私が日常生活で回避してしまっていることがたくさんあるのではないかと。
医師の言うことは鋭く、そして的確でした。私は今まで何事もなかったように振舞ってきたつもりです。だから、過去に何か重大なことがあったのか、なんて質問されたことはたった一度もありませんでした。
 
私は意を決して打ち明けることにしました。
これは、人生で初めての出来事でした。
 
 
従兄弟からの性的虐待、レイプ未遂について。
それから人間不信、男性不信でいるということを。
医師は何も言わずに、静かに私の過去を聞いてくれました。
 
「こんなことがあったが、うまく思い出せない」
あったことは認識しているのに詳細を思い出せないなんて。
おかしなことを言っていると自分でも思いました。
 
 
そして何度も専門のヒアリングやマークシート等の検査をした結果、私は統合失調症でもなく、うつ病でもなく、「PTSDによるうつ的症状」として、PTSDであることがわかり、すぐに治療を始めることになりました。
 
 
認知行動療法のひとつで、「PE療法」というものがあります。
日本では「暴露療法」などと言ったりしますが、持続エクスポージャー(Prolonged Exposure)の略でPE療法といいます。
 
 
今の時代、PTSD (外傷後ストレス障害)を標的とした治療法の中では最も確実に有効であると言われています。
 
PE療法の基本は週一回、90分程のセッションを10回〜15回行います。
 
また毎回、家でやってくる宿題が出ます。宿題はこの治療法の重要な一部分です。
面倒臭がらずにやらないと治療が遅れます。
「呼吸法」を実践しながら、「イメージ曝露」と「実生活内曝露」の二つの方面からアプローチしていきます。
それと、この治療において大切な指標があります。「SUDS(サズ)」というものです。
 
 
・「呼吸法」
パニック発作過呼吸状態にある程度自分自身で対応できるようになるための呼吸法です。
覚えておくとピンチの時(私は実生活内曝露をしている時に過呼吸状態になったりした)とても役に立ちます。
 
 
・SUDS(サズ)
 
サズというものは、ある状況がどのくらい不快で恐怖を覚えるかを0から100の数値で示したものです。
0は不安も恐怖も何もなく完全にリラックスしている状況、100はトラウマを体験している時に感じたようなこれまでに体験したことのないような鮮烈で極度な恐怖と不安状態です。
 
ある程度の目安…
0…完全にリラックス
30…すこし怖い
50…かなり怖い
80…すごく怖い
100…最高に強い恐怖
 
また、今行っている活動を続けられるかどうかの指標にしてもいいです。
 
活動を
0…問題なく続けられる
30…恐怖はあるが続けられる
50…なんとか続けられる
80…恐怖により続けることが困難
100…恐怖に圧倒されてしまい続けられない
 
この治療は過去のトラウマ体験や今現在恐怖に感じているものに立ち向かって行く治療になりますので、その度々にこのSUDSを使って自身の感情の強さを客観視していきます。数字にこだわる必要はなく、例えば曝露をしている時、カウンセラーに「今のSUDSは?」と聞かれたりしますので、あくまで目安としてざっくり自分の状態を数字に当てはめて答えていけばいいです。
 
 
・イメージ曝露
トラウマ体験をした人の中には、ふとしたきっかけでその当時に戻ってしまったかのように振る舞ってしまう(フラッシュバック)、またはその出来事自体が無かったかのように思えてしまうことがあります。
前者ですと、例えばレイプ被害に遭った方などは、男性に触れるだけで当時の記憶が蘇り恐怖の前に動けなくなってしまうなど。
 
私の場合は後者でした。
当時押し込めようと押し込めようとして記憶の処理が進まず、それがもしかしたら夢だったのか?本当にあったことなのか?とすら思えてきてしまうなど……。
 
イメージ曝露とは、セッションの度に、その出来事を振り返り思い出し、繰り返し繰り返し話をして自分の中で慣れさせたり落とし込んで行くことです。
 
これがなかなか大変で、初めはなんでこんな辛い思いをしなければならないのかと思う程に辛いです。
しかし擦り切れるくらいに話していると、その記憶を過去にあったものとして処理することができるし、腫れ物に触るようだったのが、記憶に対して慣れてゆきます。
 
カウンセラーも嫌がらせのような質問をしてきたり突っ込んでくることは絶対にないので(SUDSを聞くくらい)自分のペースで話していってほしいです。
 
 
私の場合フラッシュバック等はありませんでしたが、繰り返し繰り返しその出来事を話すにあたり、だんだん確かに私の人生においてその事件はあったことだと、起きてしまったことだという実感が湧いて来ました。
 
そうすると今まではまるで夢だったのかもしれない、と思えるようなことも、封印された記憶が、当時の感情が蘇ってきて、気持ち悪かった感触、恐怖が呼び起こされるかのようにしっくりと感じることができるのです。
 
そして、初めてそれに対して感情が生まれました。10年ぶりに沸いてくる、怒りや悲しみ。
それまでは感覚が麻痺したかのような感じだったのに、悔しくて涙が流れてきます。あれは不思議な体験でした。
 
そのうちに、記憶はだんだん整理されてゆきます。
そして出される「宿題」とは、そのセッションの最中に話したこのイメージ曝露の録音内容を(毎回録音します)、毎日一回は必ず聴くことです。またこの時も、SUDSを記録していきます。
最初は聴くたびに動悸がしたり、恐怖がありました。しかしだんだん慣れてくるようになり、最終的には本を読みながら聴き続けることすらできるようになります(SUDSも下がります)!
 
 
・実生活内曝露
私は今まで、従兄弟の存在を想起させるものに一切近づけませんでした。
従兄弟が写っているかもしれないと思い、子供の頃のアルバムを見られない。従兄弟の名前を見ることすら怖かったです。本家に上がりたくても怖くて上がれない。祖父の仏壇に手を合わせてあげたくても、家に近寄れない。してあげられなかったのです。したくても出来ない。
 
人間がいきものとしての本性を曝け出してしまうと思ったら、本家の近くにある駅を通れない。
その家がある区にすら近寄れませんでした。そして男性とは極端に距離を置いてしまう。男女問わず好意を持たれると大変ストレスで、極端に遠ざけてしまう。
 
そして、全く失礼なことに、従兄弟のようなーー太った男性、女性もーーがどうしようもなく、気持ち悪く思えてしまい、関われませんでした。
その人は何も悪くないのに、従兄弟の影がちらついてしまうのです。
太った人が苦手で、だから私はそうならないように、極端に体重管理をしてきました。
 
なにかのきっかけで、思い出したくなくても思い出してしまう。
そして過剰に怖い思いをしてしまう。汗ばんだり、むかむかしたり、気分が悪くなったり、頭痛がしたり、過呼吸になったり。それを避けるために日常的に回避していることがたくさんある。
出来ないけど、出来たらもっといい生活を送れるのになあと思うことはたくさんあるかもしれません。
本当はもっと皆みたいに楽しみたいのに、PTSDが邪魔をする。
私はそうでした。
行動が制限されて悩んでいる方はとてもとても多いと思います。
 
極端な話をしますが、高所恐怖症の方を高所に慣れさせるにはどうするか。スタートは小さな段差を上がる。
次は階段を上がる。その次は二階建てのアパートに上がる、その次は少し大きなマンション、エレベーターに乗ってみる、など、どんどん出来ることを増やしていけば、スカイツリーにだって登れるようになるでしょう。
成功体験により、今まで避けてきたものは決して自分に危害を与えないということを理解することができます。
 
もう一例、森でレイプされた方がいました。ショックのあまり引きこもり、外が怖いものだと思い込んで家から一歩も出られませんでした。
外出が出来ないと日頃の生活に支障が出ます。
しかしそこで、まずは勇気を出して玄関から出てみる、明るいうちに近所を歩いてみる。慣れたら遠出をしてみる。
その方はオシャレが好きだったから、本当は人ごみを歩いて百貨店で服などを買ってみたい。
でもそれはとても勇気がいること。
すれ違う人が自分に何をするかわからない、トラウマ体験を想起させるものが多すぎて、とにかく怖すぎてそれが満足に出来ないのです。
 
でもこのように小さなことから成功体験を積み重ねると、場違いなきっかけでその記憶を思い出すこともなく、また何かに過剰に警戒することもなく、買い物を楽しむことが出来るようになります。
 
 
そうすると、自分が思っているよりも遥かに日常は危険なものではないことを理解することが出来ます。
世界に対する見方が変わってくるのです。
自分の症状をはっきりと理解することが出来ます。
 
自分がおかしいのではない、これは症状によるもので、改善出来るのだと。
 
このように、何かに挑戦し、自分の考えがあくまでPTSDによる症状なのだと理解し、生きづらさを感じる部分を減らしていくというものが主な治療になります。
 
これも行う前と後のSUDSを表に記録します。
私が実際に宿題として取り組んだ実生活内曝露はたとえばこんな感じです。
 
・スカートを履いてみる
・祖母の家の最寄駅がある路線に乗る
・加害者の写真を眺める
・同性の友人を家に泊める
・男女グループで遊びに行く
 
こんなものから、最後の方には
 
・性暴行のニュース動画を見る
・男性客と見つめ合う
・祖母の家の最寄駅で降りてみる
・合コンに行く
・AVを見る
 
こんなものまで。セッションを始める時にカウンセラーと話し合い、何を行う時にどれくらい怖いかを「不安階層表」というものにまとめて、セッション中はその表を元に段階的に取り組んでいきます。
 
 
 
これに集中的に取り組むとなれば、治療者本人は相当労力が必要です。
 
治療中、またあの苦痛なセッションを受けるのか、と病院に向かう足が重くなることがたくさんありました。
そして実生活内曝露は自分との戦いです。一歩を踏み出すまでが大変。
 
しかしこれを乗り越えれば必ずPTSDは克服できます。
期間中はカウンセラーが24時間体制でサポートをしてくれます。
恐怖に立ち向かうこの治療は、慣れるまでは自身にとって結構な負担になります。
でもカウンセラーには24時間連絡を取ることができるし、空いている時間なら病院にも駆け込むことが出来ます。
私も期間中にパニック発作を何回か起こしていますが、その時その時、しっかりと対応してくれました。頼ることを怖がらないでください。
誰かに助けてもらいながら何かを成し遂げるという経験は、必ずこれからの人生に役に立ちます。
 
セッションにかかる期間と、長く苦しんできた人生、そしてPTSDから解放されたこれからの人生の時間を考えた場合、この短期間のセッションにトライしてみてもいいのではじゃないでしょうか。
 
 
イメージ曝露も、最初はこんな感じだったかも、から始まり、記憶が処理されるにつれて加害者への怒りも現れ、その当時の自分の自己に対する嫌悪感であったり、当時感じた緊迫感も蘇ってきます。
 
時には涙が出るほど、過呼吸になるほどでしたが、それも繰り返し話をしていると、だんだん過去のものだった、と認識することができ、すらすらと悪い思い出話のような感覚で話を進めることができるようになります。
 
 
薬で症状は紛らすことは出来ても、根本の解決はやはり認知行動療法が有効だと実感しました。
 
特に先述した通り、実生活内曝露をする際は自分一人で抱え込むことが出来ず、止むを得ずカウンセラーに電話をしたり、周りの方々に助けを求めました。
それまではなんでも自分一人で解決しようとする考えがあったのですが、人に頼るということを期間中に初めて経験しました。
 
 
PTSDの症状で、周りからの関係を断とうとする、極端な考え方をしてしまう(他人に対する不信感、自分の罪悪感、無価値観、トラウマ体験を受けて考えが変わってしまう)というものがあります。
 
私は他人が信用できずに、人を頼ることを知らず、甘え下手で、これまで何に関しても一人頑張ってきましたが、治療を進めるにあたって、すべての人が私に危害を加えるわけではない、中にはわかってくれる方もいるということを初めて理解しました。
 
完全にあの忌まわしい記憶に囚われ、私は本当の自分を見失っていました。
周りからは真面目で勤勉で、一人努力するタイプだと言われます。周りから見れば充実した人生を歩んでいるように見えるかもしれません。
 
しかしその根底にはPTSDによる性格の変化で、人を頼りきれない、頼れない、信じられるものは自分の力のみだ、自分がやるしかない、という他人に対する思いがあって自分の力だけで必死にやり遂げるしかなかったからです。
 
ずっとずっと、本当に孤独でした。
でも今は一人で抱え込む必要はないと理解し、日常に対して気を張りすぎないようになりました。
 
やっと、生きるのが楽になりました。
 
これからは本当に自分のために新たな自分探しをしていきたいなと思っています。
 
これまでトラウマ記憶に囚われ一人で抱え込んできた人生を否定するつもりはありません。
身につけたものもたくさんあります。
それを生かした上で、満ち足りた人間関係を築く生活を送っていきたいと考えています。
 
 
治療を終えた今でも私はやはり本家に赴いて祖父の仏壇に手を合わせに行くことはまだできません。
そこに住んでいる加害者と顔を合わすかもしれないからです。
これはリスクも兼ねているので、カウンセラーと慎重に考えていきたいことです。
 
 
そして全く今回のこととは関係ないのですが、私はクラブのダンスフロアに行くことが出来ません。
私だって年頃です。音楽が好きでクラブも楽しいのに、完全に守られている状態のボックス席にしか座れません。
例えばフロアを通ってお手洗いに行く時も、セキュリティさんについてもらわないとそこを通れません。
お酒の入った男女ともみくちゃになるのが怖いからです。
でも、フロアに入ったら楽しいんだろうなとは思います。
しかしそれが出来ません。
いつか機会があればフロアに入ってみたい、というのが私の今の課題です。それもまた実生活内曝露ですね。
 
 
このようにこんなことでも出来ないことに前向きな姿勢になれるのも、この治療をしている間に数々の成功体験を得てきたからです。
 
とても集中的で辛い治療ですが、治療期間の三ヶ月を抜けた先には必ず、本当の人生が待っています。
明るい世界が待っています。
 
 
 
今後の人生において、これほど他人にトラウマ体験について話すこともあの期間以外にもう二度とないと思います。
 
それくらいこの持続エクスポージャー療法では擦り切れるほど擦り切れるほど過去の経験を話します。
しかし誰かに話をするだけで、記憶に触れる勇気というものは湧いてくるものです。
 
嘘みたいな話ですが本当です。
嘘だと思うのであれば個々に相談に乗りたいほどです。コメント下さい。
 
私はこの治療を終え、診断テスト的においても、もうPTSDではない、と言える状態です。
 
(治療前→13点…PTSD 治療後→4点…PTSDではない)
 
鬱も少しながらではありますが改善してきており、
担当医も「これからはPTSD関係なくあなたがうつ病かどうか見極める。PTSDによるものだとしたら、治療方針としては徐々に抗うつ剤の減薬をしていく」、
そして「ゆくゆくは精神科とは全く縁のない人生を送ることが出来るでしょう」とのことです。
 
ここまで人は変わるのです。
精神科は卒業することが出来ます。
 
 
持続エクスポージャー療法を行える専門医は日本にはまだ数少ないです。
 
しかしもしどこかで専門医に出会えたのであれば、この治療を勧められたのであれば、幸運な機会を掴んだとして、挑戦してみることを私は体験者として強くお勧めしたいです。
専門カウンセラーの紹介もします。
 
迷いや悩みがありましたら相談に乗ります。
私のように誰かが救われることを祈って。